ない。「富公」は昔狸小路8丁目にあ り、その奥に「克鳥」という焼鳥屋があった。私は若い頃、よく会社の先輩とその 「克鳥」に行っていた。焼き鳥がうまくて、安く、量が多かったし、なにより冬場は 「煮込み」があり、これがもうめっぽううまく、私は良くお代わりをして食べてい た。また、そこのオヤジはデブッとした大柄で、まるでCD義の犬にエサを与えているコック兵みたいなオヤジで、酒が好きで、自分の酒のサカナのメニューなんてのがあり、それがたまに食べさせてくれると、これがまためっぽううまかったのだ。その頃は「富公」もけっこう夜遅くまでやっていたし、「克鳥」とは戸1枚で行き来できたので「克鳥」からラーメンの出前が出来たのだ!確か私も1、2度取って食べたことがあった様に思う。今から考えれば、夢のような話だ。たぶんこの頃は、まだ「富公」もそれほど忙しくはなかったのだし、現に私も「富公」が特別好きというわけではなかった。

 で数年して「克鳥」が店を閉めてしまった。おそらくオヤジの酒好きが原因だったのではなかろうか?我々は行くたびに店がしまっていて、ガッカリしたものだった。そしてそれはついに二度と開くことはなかった。「克鳥」が無くなって「富公」のオヤジもどこか淋しそうだった。われわれが「克鳥」のオヤジのことを聞いても、口数が少なかったのは、同じ酒飲みとしての同胞を無くした想いからだったのだろうか。

 だが、皮肉な物で、「克鳥」が無くなった頃から、「富公」が忙しくなりはじめる。昼にはちょっとした行列となり、観光客も増えた。独特な焦げ臭いようなコクのある味とオヤジのキャラクターが口コミで客が増えていった。しかし、どんなに忙しくてもオヤジは一人で店をやっていた。いや、実は陰に従業員はもう一人いた。洗い物をしている人がいるのだが、その人は我々には全く見えず、こちらがライスを頼んだときだけ、オヤジの「ライスいち!」の声があると、ニュッとライス(それも平皿オシンコ2切れ付き)を持った手のみが見えるのだ。おそらく奥さんだったのだろうか?今となっては分からない。

 オヤジがらみのエピソードを書けばきりがないので、また別の機会にゆずるとして、その頑固オヤジそのもののキャラクター(そう言えばうちの浜田が年を取ると結構似ているはず)と昔ながらの小さめのドンブリに入ったラーメンは確かにうまかった。当初それほどファンではなかった私も次第にその味の虜になっていった。
 しかし店がはやるほどに、店の営業時間は少なくなっていった。その頃、夜7時頃までやっていたのだが、だんだんと6時、4時、そしてついには店がしまっていることが多くなってしまう。いやな予感。そしてそののれんは2度と掛けられることはなくなった...。おそらくは体調が悪かったのだろう。やはりお酒のせいかもしれない。行けども行けども、もう店が開くことはなく「富公」の味を忘れられない人々は皆ガッカリしていた。

 ココまで読んできて「オイ!どこがいい話なんだ!」とつっこみを入れた人、ここからが本題です。
 そして、名店「富公」が無くなり、その味を忘れかけていた頃(もう閉店してから7、8年たっていたと思う)ある時、私は仕事中に給油のためにスタンドに立ち寄った。そこでふと見た「財界さっぽろ」いや「月刊クオリティ」だったか?「ススキノ満足新聞」ではなかったが、何気なく読んでいると、ナ、ナント「富公」が在った場所で、「富公」の味を再現した店がオープンしたという。そこのオーナーさんは元洋食のシェフで、昔食べた「富公」の味が忘れられず、きょくりょく「富公」の味を再現したという。しかし私は疑問だった。あの味が簡単に出せる物か?いや無理ではないか?あの独特の焦げ臭さは?

 しかし、次の一文が目を引いた。あのオヤジさんの家族の方にそのラーメンを食べていただいたのだというのだ。するとご家族の方はかなり近い味と認めてくださり、ナ、ナ、ナント取っておいたドンブリその他の用具を提供してくれたのだ!オオッ!これは!ひょってして!
 私はすぐさま狸小路へ向かった!いや気づいたときはもう狸小路に立っていた(うそ)。その店の名前は「一徹」。私はしょうゆラーメンを注文した。出てきたのはあのドンブリである。においも「富公」っぽい懐かしいにおいだ。そしてじっくり食べてみた...。スープを最後の一滴まで平らげたあと、わたしはヒゲをたくわえ、貫禄があるが、優しい顔立ちの主に行った。「富公の味にかなり近いですね」「そですか」と店主はニッコリした。その後行くたびに「富公」の味に近くなって行き、今ではほぼ当時の味を再現しているように思う。オリジナルを知らない方も是非一度食べていただきたいラーメン店である。ね、ちょっといい話でしょ?

つづく

P.S.奥が座敷となっており、夜は酒も飲めるし、ラーメンも食べられる。

* 「一徹」札幌市中央区南3条西8丁目狸小路